気功(一指禅功)


一指禅功について

一指禅功は、中国福建省南少林寺の秘伝練功術で、かつては少林寺の徒弟にのみ伝授を許された門外不出の功法であった。その一指禅功には独特な修練法と療法があり、修練者は、気血調和、経絡疏通、内気強化、病気除去、強身益寿などの目的を達成できる。さらに修練上達者は、体内から発する気の力により、各種の病気を治療することもできる。診断が正確で施術も適当であれば、気の力により病が取り除かれる。このため、一指禅功は「秘術」とみなされた。

一指禅功は、その誕生から現在に至る1400年余の歴史の中で3つの段階を経ました。

1.武術と禅の結合の産物

梁普通年間(520-526)、インド禅宗第28代伝人、菩提ダルマは河南嵩山少林寺に定住し、独自で禅定を行い、9年間少林寺で面壁し、禅法中の壁観法を修練したと言われている。その後、僧の慧可(467-593)を弟子として受け入れ、禅の修練法を伝授した。

慧可は禅の修練法と中国の武術を統合して、一種独特の修練法である「一指禅功」を作り上げた。これ以降、一指禅功は少林寺で代々伝えられることとなった。

2.智空による南少林寺の建立

西暦661年、嵩山少林寺の智空は福建省に移り、清源郡(現在の泉州市)に東禅少林寺(南少林寺)を建てた。

当時の東禅少林寺の規模は広大で、寺院は13層を有した。塀の高さは3丈、寺僧千人、田の広さは百頃(約666㌶、東京ドームの約142個分)であった。少林寺の寺僧は、誦経の他に武術を修練し、田地の開墾に従事した。一指禅功は、この時期に発展を遂げ、少林寺の保護する功法として確立された。

南少林寺の僧は仏門に入っているとは言え、武術者でもある。従って、武術界との付き合いと紛争も多々発生したことから、南少林寺もしばしば焼き払われたり、それを修復したりという状況にあった。明時代の末から清時代の初期にかけて、少林寺は清の王朝との紛争が激しくなった。1763年、乾隆帝によって、南少林寺を焼き払うよう勅令が下され、ここに千年の歴史を有する名寺も一本の松明によって灰に帰し、南少林寺の僧も四散するに至ったのである。

3.闕阿水の出現と一指禅功の新たな展開

1919年に蘇州の貧しい家に生まれた闕阿水は、7歳の時に浄智禅師の弟子となり、以来、仏門に入った。法号は「海騰」と称した。 浄智禅師は元の名を杜順彪と言い、南少林寺一指禅功16代の伝人であった。闕阿水は浄智禅師の指導の下、骨身を惜しまず練功や勤行に真摯に励んだ。その姿勢は浄智禅師にも認められ、やがて彼は浄智禅師の養子として迎えられた。浄智禅師は40年代初頭に亡くなるまでに、一指禅功の真髄である「七陰錯骨白骨手」、「点綿功」「弾指」「朱砂陰掌」「陽経封経手」「抽元法」「定身法」など全てを闕阿水に伝授した。これにより闕阿水は、一指禅功第17代の伝人となったのである。 闕阿水は、1945年に還俗し、1946年に上海に定居した。闕阿水は、仕事の合間を見つけては、人々の治療にあたった。彼の治療法は他の医師のそれと異なり、薬を用いる訳でもなく、また注射をするわけでもなく、ただ病人から数尺離れたところから手のひらや指を患部に向けて発功するだけで、数分後には患部の痛みも解消するのである。別の医師からは不治の病である宣告された患者でさえも、数回から数十回の治療を受けると奇跡的に病気は快癒し、健康を取り戻した。数年間にわたって、彼が治療した患者は無数にのぼった。 1980年、闕阿水は上海中医学院(現在の中医薬大学)の中医研究所からの招聘を受けた。 彼は、ここで子の闕巧根や弟子たち、中医研究所の林雅谷研究員、上海交通大学の研究員の沈感昌らと共に研究を行い、「一指禅気功が生み出す特異な超常生理反応により、人は発効中の光子をコントロールする能力を身につけ、自分自身の発する遠赤外線のエネルギーの輻射強度をコントロールすることができ、さらに体表の分布状態を調整することができる。」という研究成果をあげた。はじめに、「内気外発」の現象を検討し、外気は空間を通して伝わることと外気の物質性を解明し、外気が人体に及ぼす効用に関する研究の基礎を築いた。 1981年6月、闕阿水は上海市楊浦区体育場の招聘を受け赴いた。ここで、彼は初めて一指禅功の伝授を少林寺の門弟以外にも公開した。これ以来、千年この方、秘術として秘匿されていた一指禅功は世の中に広く認知され、上海から次第に中国各地に広く伝わるようになった。 1982年4月、勤務中であった闕阿水は、不運にも頭上から落ちてきた石版に頭部をぶつけた。これが原因で彼は、1982年6月11日に永眠した。享年63歳であった。 闕阿水の急逝は、気功界にとっても重大な損失であったと言える。闕阿水の数多くの絶技のうちいくつかは門弟に継承されたものの、継承されずに失われたものや、一部分のみが伝えられたに過ぎないものも少なくなかった。 中国における一指禅功の修練者は老若男女を含めて拡大しており、その数はすでに数百万人にのぼるとも言われている。近年では中国以外の地にも広く伝えられている。

功法について

1. 馬歩站椿[見る]

馬歩站椿は一指禅功の最も基礎的な功法で、気功のあやゆる功法は、この功法から生まれると言われている。一指禅功の修練は必ず馬歩站椿から始めなければならない。 特徴は木の柱が不動のまま立っているように、静かに立ったまま動かないことである。

2. 抗老益寿法[見る]

抗老益寿法は、一指禅功の1つで、馬歩站椿に指の動きを組み合わせて気血の流動を促進し、経絡を疏通させて、臓腑の生理機能を調整します。健康の回復、免疫力強化、不老長寿の効果があります。

馬歩站椿